管工事・保全・修繕
練馬区(住民基本台帳:人口 745,927人・世帯 395,526世帯・面積 48.08km²・人口密度 15,514人/km²・人口増減 +0.59%(令和6年1月1日→令和7年1月1日)、令和7年1月1日現在) の中古・既存建物向けに、管工事・法定点検・大規模修繕の発注入口をご用意しています。
出典:東京都 住民基本台帳による世帯と人口(令和7年1月)(令和7年1月1日現在)
練馬区の成り立ち
練馬区は、1947年(昭和22年)8月1日に板橋区から分離し、東京都で23番目の特別区として発足しました。現在の区域は、旧北豊島郡の練馬・石神井・大泉ほかの町村地帯と、旧上板橋村の江古田・小竹の一部を含みます。
1932年(昭和7年)の東京市35区制施行の際、練馬地域は面積の広さにもかかわらず人口が少なかったため、単独の区ではなく板橋区へ編入されました。区役所が区域東端の板橋宿付近に置かれたことから、練馬・石神井方面の住民は行政手続きに大きな負担を抱えることになり、のちの区独立運動の背景となります。
練馬区の歴史
江戸期には、練馬は「練馬大根」で知られる農村地帯であり、板橋宿や滝野川沿いの往来も地域の生活を支えました。明治以降は郡区町村制のもとで村制が整備され、大正12年(1923年)の関東大震災以降、都心からの人口流入が本格化します。
板橋区編入後も、練馬・石神井両派出所(のち支所)管内では単独行政区の設置を求める運動が続き、1945年(昭和20年)には「練馬区設置期成会」が再結成されました。1947年3月15日の東京22区制施行時点では板橋区内にとどまりましたが、同年8月1日、区民の長年の要望を経て練馬区が独立しました。
独立後の練馬区は、高度経済成長期に人口が急増し、昭和30年代から40年代にかけて宅地開発が進みました。現在は区面積48.08km²、人口約74万人規模の特別区として、住宅地と商業・工業地が混在する区です。
練馬区の初代区長
- 氏名
- 臼井五十三(うすい いそぞう)
- 在任期間
- 昭和22年9月20日〜昭和26年9月19日(第1代区長)
- 補足
- 練馬区発足(1947年8月1日)後、初の公選により選出された初代区長です。
練馬区の歴代区長
現任区長は練馬区FAQ更新日(2026年4月21日)時点の情報です。
| 代 | 氏名 | 就任 | 退任 |
|---|---|---|---|
| 第1代 | 臼井五十三 (うすい いそぞう) | 昭和22年9月20日 | 昭和26年9月19日 |
| 第2〜5代 | 須田操 (すだ みさお) | 昭和26年9月20日 | 昭和42年6月21日 |
| 第6代 | 片健治 (かた けんじ) | 昭和43年7月29日 | 昭和47年7月28日 |
| 第7〜10代 | 田畑健介 (たばた けんすけ) | 昭和48年10月16日 | 昭和62年4月26日 |
| 第11〜14代 | 岩波三郎 (いわなみ さぶろう) | 昭和62年4月27日 | 平成15年4月26日 |
| 第15〜17代 | 志村豊志郎 (しむら としろう) | 平成15年4月27日 | 平成26年2月23日 |
| 第18〜20代 | 前川燿男 (まえかわ あきお) | 平成26年4月20日 | 令和8年4月19日 |
| 第21代 | 吉田健一 (よしだ けんいち) | 令和8年4月20日 | 在任中 |
練馬区の歴史的建造物
出典: 練馬区公式:区の歴史、練馬わがまち資料館:練馬区の誕生、練馬区:歴代区長(FAQ)
サービス一覧
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